萎縮した魂とリストカットを繰り返す人

2016年12月13日火曜日

リストカット

本当に、死にたいと思っていてリストカットをする

けれど、助かってしまう
死に切れない

心のどこかでは、やはりまだ生きていたくて、誰かに止めて欲しいと願っているときには助かることが多い

*いじめられての自殺とはまったく異なる話なので、いじめ自殺者についてはまた、別の時に。

ためらい傷が腕に幾つも刻まれていて
でも、なんとかこの世に踏みとどまっている女性がいる

魂は、エネルギーの塊

長く生きて様々なことをやりたいと願って生を受けた人の魂は、煌々としている

現世の物質的な価値観の言葉で表すなら、ものすごい熱量と光量

壊れることのない高速増殖炉のようにエネルギーが溢れ出し続けている

かたや、自殺してしまう人の魂は
もともとは煌々としていたのに
何かのきっかけで、収縮して熱も光も
ロウソクの炎のようになる

けれど、完全に消えることはない
命の炎と魂の火は同じではない

命の炎は肉体と精神の寿命
魂は永遠で
宇宙の源からこの世界に分け与えたものだから
またいつか、宇宙の源に戻る

オリンピックの聖火は、具体的な起源は知らないけれど

まるで、この原初の宇宙の理を知っていた人が模倣したかのようだ

リストカットの話に戻ると

死にたいと思うのは、
魂が萎縮していて
その息苦しさは、当人しか分からなくて当然だ

熱帯の島に生まれ一生過ごす人は
仲間が、ある日突然シベリアに送られて

寒くてしかたない
死にそうだ
いや、いっそ死んでしまいたい

そう、訴えてもシベリアの寒さは分からない

だから、そこで頑張れと言ってしまう
寒さなんか吹き飛ばせ!無理に決まってるけれど、伝わるはずがない

魂が萎縮していると、
とにかく寒い
心が寒い、というのはこれだ
萎縮するほどに、寒さは厳しくなり
やがて、生きていられなくなる

リストカットをするのは
赤い血が流れるのを見て
むしろ、まだ自分が生きていると
確認する作業
生きていたいからか、死にたいのに生きているからなのかは分からない

感覚のなくなりつつある手足を、つねってみて、凍傷になりかけていないか確かめるような作業

まだ、痛みがあれば、まだ、手足は大丈夫

腕を切って、血が出ればまだ生きてる証拠


リストカットをしなくてよくなるためには?
腕を切らなくても生きていると実感できるようにすること?

それよりもまずは
凍えて萎縮している魂が
元の熱を取り戻すまでの間

寒さを凌げる場所、暖めてくれる何か、誰かが必要で

恐らく、リストカットを繰り返す人は
リストカットをした場所はその人にとってシベリアだから、そこを離れるほうがいい

うまくいけば、居場所を変えるだけでも、魂は回復することがある

暖かい場所
萎縮した魂をこれ以上苦しめない場所

それが、この世にあると分かれば
この世から逃げなくてもいい

でも、その暖かい場所がこの世でなかなか見つからなければ

この世の中でなら、いくらでも逃げていい
寒い場所からは、逃げて逃げて逃げまくればいい

どこかには、必ずその人の魂の安住できる場所が

物理的な場所ではなく、誰かや何かのこともあるけれど

必ずあるはずで

ただ、そこにたどり着くまでに
道に迷ってしまっただけなのだ