■60年代に大ブームを起こしたからこそ、現在のOSHO再ブームへの批判も根強い
OSHOはまだ「ラジニーシ」と呼ばれていた時代、1960年から1980年頃の世界的な『ニューエイジブーム』の立役者だった。
OSHOはインドの覚者だが、そのあまりの影響力から徹底的なネガティブキャンペーンの洗礼を受け、いまでも多くの人が、彼をカルトの教祖だと信じている。 5年前に発売された「OSHO・アメリカへの道」という本は、ジャーナリストの手による中立的な検証だが、そのような報告は時すでに遅く、第一印象が最強の印象ということを知りぬいた者たちによって、彼の存在は貶められてしまった。 いまでもOSHOの名を聞いただけで過剰反応する人たちがいる
かんながら(阿部敏郎:「リーラ」)より
○批判の原因はOSHO(バグワン・ラジニーシ)が建設した「コミューン」の内部確執?
1981年、ラジニーシはアメリカに移り、彼を慕う人たちは、まもなくオレゴン州に巨大なコミューン、「ラジニーシプーラム」を建設し、ひとつの実験都市として多大な注目を集める。ラジニーシプーラムは正式に市として認められ、5千人の住民を擁する町としての自治体制とインフラを備えるに至った。この時期、ラジニーシは身体的に脆弱な状態にあったとも言われ、以前のように講話をすることはやめており、この巨大なコミューンの建設と運営は、ラジニーシを慕う人たちの自主的な労働と貢献によって進められたものであるが、その過程では、ラジニーシの意図とは無関係のところで、内部的な組織化や確執が生じることは避けがたかった。wiki「バグワン・シュリ・ラジニーシ」より
○瞑想の邪魔となる「性的欲望」の解消を目指し「フリーセックス」を奨励した?
OSHOは、一部では、「セックスグル」として歪曲して伝えられていて、「OSHOといえばフリーセックス」という印象を持っている人たちもたくさんいる。
Happy New Year from インド(ハートの真実を求めて~内観と人格統合)より
彼によれば、現代人のほとんどは性的欲求不満のかたまりで、そのままでは瞑想なんて望むべくもないのです。他の雑念が去っても、性的妄想によって黒板に異性の姿が煽情的に描かれたままでは空白の実現は望めません。
仏教では主に女性を遠ざけることによって性的欲求が頭をもたげるのを防ごうとしたわけですが、これが必ずしも成功しないだろうということは想像がつきますね。性的欲求は私達の内側にあるものですから、いくら対象である異性を遠ざけても、結局は代替物をみつけて欲情をかきたててしまうでしょう。
バグワンは逆療法を試みました。つまり、性的欲求が簡単に満足されやすい環境を作ったのです。ここに、ラジニーシグループがフリーセックスカルトと呼ばれた原因を見ることができます。
ラジニーシとの関わりとオウム真理教 より
■OSHOの瞑想法やセラピーを広める活動を各種関連団体が行っている
OSHOサクシン瞑想センター
「OSHOサクシン瞑想センター」という名前は、1988年にOSHOより直接与えられた。日本でOSHOのヴィジョンを紹介する活動を行う
<活動内容>
毎日の瞑想や瞑想キャンプ、セレブレーション、各種セミナー、瞑想を核としたコミューンの創設、OSHOの出版物の紹介、瞑想者のためのワークフィールド創りなど、活動は多岐に渡っています。OSHOによる瞑想法一覧
OSHO JAPAN
OSHO のヴィジョンを紹介する、OSHO の公式センター
<活動内容>
・インド、プネーにあるOSHO メディテーション・リゾートでの紹介や情報の提供 ・OSHO メディテーション・リゾート内にあるマルチヴァーシティーで行われるグループや個人セッションなどの紹介 ・日本での、OSHO のヴィジョンにおける瞑想会やグループやセレブレーションを主宰 ・OSHOの英語・日本語書籍、講話DVDやCD、瞑想音楽CDなどの販売