瞑想はやはり「魔境」に繋がることもある

2016年1月23日土曜日

魔境 瞑想

瞑想中に、光を見たり声を聞いたり・・・・・・そんな話を聞くと、神秘体験を羨ましく思うことがありますが、実はそういった神秘体験は「魔境」に繋がってしまったからで、実はあまりよろしくないもののようです。

ちなみに、こちらの記事にある塩沼大阿闍梨は、神秘体験というよりも、本物の地獄に迷いこむような体験をされているそうです。

幻覚のなかで3匹の餓鬼が行く手を阻んで石を投げつけてきました。実際に石がみえて、必死で避けたりするんですけれども、ハッと気がつくと何もない。それから、4メートルはあろうかという大きなイノシシが襲ってきて「うわっ、やられる!」と思ったら、何もなかったとか。また、後醍醐天皇の南北朝時代の戦場跡では、亡霊を何度もみました。
低いテーブルで握り飯を食べて休憩していると、なんだか霧に包まれたような感じになりまして、バーンと体を倒されたんですね。金縛りのようになって、体が動かない。胸のあたりに武士の手甲があるような感じがして、それがだんだん首のほうに上がってきた。
首を絞められるという恐怖から、このままじゃヤバいと思って、意を決してワーッと大声を出しながら体を動かしたんですね。次の瞬間、気がついたら武士の手甲は消えていました。  
[出典]大阿闍梨がみた地獄 

なんとも恐ろしい話ですね。しかし、これは修行を始めてから3年間ほどで、それ以降は今度は、「きれいなもの」が見えるようになったそうです。


金色の光のなかで天女が3人舞い、こちらにいらっしゃいと手招きしていました。近づいてみますと、その天女から袋に入った金剛石を渡されました。天女は何もしゃべらないんですが、「あなたの行くところにはまだまだ上がありますよ」という声が聞こえてきて、これはご褒美なのかなと思いました。
ふと上をみると、螺旋階段があって、その先はまたスーッと真っ暗な闇の山道になったいました。

[出典]大阿闍梨がみた地獄 

そして、修行が進むと、今度は何も見なくなったそうです。


そんなことがありつつも、後半の3分の1は何もみなくなりました。
シマジ それは塩沼さんという人間がだんだん解脱していく過程だったんでしょうね。
塩沼 そうだと思います。

[出典]大阿闍梨がみた地獄 

■AmazonのKindleで読める大阿闍梨の話
心を込めて生きる 超人的修行を遂げた大阿闍梨の生き方