この世は「ゲーム空間」(2)私達は思い通りに行かない世界を楽しみに来た冒険者

2014年6月27日金曜日


自分が本当にこの現実を生み出しているなら、なぜこれほどうまくいかないのか、困難ばかりなのか、思い通りにならないのか・・・。私達は悩んでしまいます。

ですが、それは実は、神として、何もかもが思い通りになる世界に飽きた「神である私」が、「思い通りにならない世界」を楽しみに来たからなのだそうです。


僕たちはこの世に冒険に来たのです。
 冒険が好きだから。
 多少の困難は覚悟の上でした。
 だって困難がなければ面白くないものね。
 マリオゲームの中に、罠もなく、敵もなく、難しい場面が一つもなければ、まったく面白くないでしょ。 それと同じで、むしろ困難は期待していたんですよ。

『吟遊旅人の唄』(リーラ)より

様々な障害が存在する中で、いかにして願望を成就していくことができるか。
神が神であるが故に経験できなかった、そのエキサイティングな挑戦(ストレスの経験)こそが、このステージで求められている面白さであり、醍醐味です。
それは、あなたがテレビゲームで得ようとする経験と同様、「なかなか思い通りにならない」というストレス(やりがい)あってこその娯楽です。
人間は何かと「思い通りの現実」を引き寄せようと躍起になりがちですが、「全てを思いのままにすることができる」ということや「不可能、不都合、不満、不足といったものが存在しない」という状況は、神の意識領域においては当たり前のことで、実はもう、あなたはその状態に飽き飽きしていたのです。

『自己暗示』(もっとあの世に聞いたこの世の仕組み)より